このヘリコプターについて
ヘリコプター は、エンジンの力で機体上部にあるメインローターと呼ばれる回転翼で揚力を発生し飛行する航空機の一種であり、回転翼機に分類される。
ヘリコプター(英: helicopter)は、エンジンの力で機体上部にあるメインローターと呼ばれる回転翼で揚力を発生し飛行する航空機の一種であり、回転翼機に分類される。
空中で留まる状態のホバリングや、ホバリング状態から垂直、水平方向にも飛行が可能であり、比較的狭い場所でも離着陸できるため、各種の広い用途で利用されている。
日本語では「ヘリ」などと呼ばれる。「ヘリコプター」の名前はギリシャ語の螺旋 (helico-,ヘリックス) と翼 (pteron,プテロン) に由来している。
英語では「chopper」または「helo」あるいは「whirlybird」と表記され、中国語では「直昇機(簡体:直升机)」と表記される。
概説[編集]
ヘリコプターはローターの迎角(ピッチ角)と回転面の傾きを調整することによって、非常に複雑な運動が可能である。例えば、垂直上昇や垂直降下、空中停止(ホバリング)のほか、機体の向きを保ちながら真横や後ろに進む事もできる。また後述のローターヘッドの形式により、宙返りなどの曲技飛行ができる機体もある[1]。
このようなヘリコプターの特徴は狭い場所や複雑な地形での活動に向いており、人員や貨物のさまざまな輸送に利用されている。ラジコン玩具も、電子ジャイロの小型化、高性能化により複雑な姿勢制御が容易となり、狭い空間でも飛ばせる事から、趣味としての人気も高い。また自動制御のロボットヘリも観測や農薬散布用などに実用化されている。
しかし、翼の固定された航空機(固定翼機、飛行機)に比べると、一般に速度が遅く、燃費も悪く航続距離も短い。また、北米ではヘリコプターの騒音が社会問題になっている。この点を改善しようという試みが、ティルトローター機やティルトウィング機である。
耐空性審査要領第1部「定義」によれば、ヘリコプターは「重要な揚力を1個以上の回転翼から得る回転翼航空機の1つである」と定義されている。
歴史[編集]
ダ・ヴィンチのヘリコプター図案
フォッケウルフ Fw61
ヘリコプターの研究は遠く紀元前の中国の竹トンボに始まって、15世紀、レオナルド・ダ・ヴィンチのスケッチ、さらには18世紀 - 19世紀のジョージ・ケイリー、ヤーコプ・デーゲンらの模型を経て、何人かの実験家による蒸気機関を積んだ試作機製作と進められたが、実際にパイロットを乗せローターを使って地上を離れたのは20世紀になってからの事である。トーマス・エジソンも燃焼の反動を利用したヘリコプターを研究したが、爆発事故が発生し、幸い負傷者は出なかったが研究を打ち切っている。
固定翼機が登場し、ヘリコプターが実用化されるまでの間に、オートジャイロが現れ、回転翼の挙動に関する空気力学や機械工学的な知見が得られた。
1901年にドイツのヘルマン・ガンズヴィントは現在のヘリコプターに相当する動力で回転する回転翼を装備した航空機に2名を乗せて15秒間の浮上を実演した[2]。
1907年にフランスのモーリス・レジェ、ルイ・ブレゲー、ポール・コルニュらが相次いで多少のホバリングに成功した。オーストリア=ハンガリー帝国にて、1917年にPKZ-1という4つのローターを持ったヘリコプターが、1918年にはPKZ-2という二重反転ローターのヘリコプターがセオドア・フォン・カルマンらによって開発され、それぞれがホバリングに成功した。
実際に、きちんと飛行できるヘリコプターが最初に飛行したのは、ハインリヒ・フォッケにより1937年にドイツのベルリンで開発されたフォッケウルフ Fw61である。アントン・フレットナーもヘリコプターの開発に貢献する。
ロシアから米国へ亡命したイーゴリ・シコールスキイもヘリコプターのパイオニアの一人で単ローター、尾部ローター付という、今日の反トルク・テール・ローター形式の基礎となった、VS-300を1939年に初飛行させた。これの発展型R-4が第二次世界大戦末期に米軍で用いられたといわれる。
実際に回転翼機で垂直上昇/垂直着陸/空中静止(ホバリング)を得るには重量あたりの出力が小さいレシプロエンジンでは限界があり、十分な実用性能を得るためには軽量で高出力なガスタービンエンジンの採用を待たねばならない。飛行機の発明者オーヴィル・ライトも、1936年の書簡中でヘリコプターは実用的でないとしている。
1951年12月11日、チャールズ・カマンがカマン K-225にボーイング502ターボシャフトエンジンを搭載した。従来のレシプロエンジンに比べて大幅に向上した。1951年、カマンのK-225は世界初のガスタービンエンジン式ヘリコプターになった。この機体は現在、スミソニアン博物館に保存されている。2年後、1954年3月26日、改良型の海軍のHTK-1は飛行した初の双発タービンヘリコプターになった。1955年にフランスのシュド・エスト SE.3130 (Alouette II) が世界最初に量産されたガスタービンエンジンを搭載した量産ヘリとして登場し[3]、いくつかの世界記録を塗り替えた。これ以降、ジェット・ヘリというヘリコプターの一分野が作られてゆく。
軍事目的では、第二次世界大戦末期に実戦投入され、英領マレー(現マレーシア)での対ゲリラ戦や朝鮮戦争でも利用されているが、その用途は連絡や哨戒、航空救難など補助任務にとどまり、本格的な運用としてはジェット・ヘリが実用化されて以降のベトナム戦争が初めてである。以後、ヘリは航空戦力として必要不可欠な存在となった。
日本では、1903年に歌人・発明家の丸岡桂が制作した人力式の『昇空器』[4][5]や、1937年ごろに馬淵清一が制作した『馬淵式ヘリコプター』の記録があり、1944年には横浜高等工業学校で広津万里教授が助手や学生の協力を得て、双ローター形式のヘリコプター特殊蝶番レ号を開発した記録があり[6]、1945年には在日の米進駐軍が使用し日本人を驚かせた記録が残っており[7]、1952年に読売 Y-1や萱場ヘリプレーンや萩原JHXヘリコプターが開発されたが、どれも飛行には至らなかった。[6]全日本空輸の前身である日本ヘリコプター輸送が1952年12月27日に宣伝活動を目的に設立されている。1988年6月20日 - 1991年10月18日まで、シティエアリンクが羽田と成田を結ぶ路線を運航していたが、一般の飛行機に比べ騒音や運航コストが高く、航空路線としては不採算なため廃止となった。 1995年にゲン・コーポレーションによって1人乗りのH-4の試験飛行が実施された。その他には国内の愛好家が製作したホームビルト機で実際に飛行した例が複数ある。
2015年現在、東邦航空により八丈島 - 御蔵島 - 三宅島 - 伊豆大島 - 利島の往復と、八丈島 - 青ヶ島の往復で東京愛らんどシャトルと名付けられた定期航路が運航されている。これが日本で唯一の定期乗合ヘリコプター航路である。
香港とマカオではこの2点間を結ぶヘリコプターの定期航路(香港エクスプレス航空)があり、かつてこれは世界で唯一のヘリコプターによる国際線の定期航路であったが、どちらも中国に返還されたため、現在では(出入境にパスポートが必要ではあるものの)国内便として運航されている。その他、利用客の多い定期路線としてはモナコ - ニース(フランス)間やバンクーバー - ビクトリア間などがある。
ヘリコプター用語[編集]
構造[編集]
メインローター
機体上部で回転する翼のことで、これが回転翼の名称由来になっている。回転する事により飛行に必要な揚力を得る。また、回転面を傾ける事により、前後左右の飛行が可能となる。エンジンで生み出された動力は、メイン・トランスミッションを介して望ましい回転数まで減速させてからメインロータを300〜400rpmで回転させて飛行する。また型式や配列により、いろいろな種類に分類される。
テールローター
機体尾部にある小さな回転翼。メインローターが回転することで、機体が反作用によって逆回転方向の反作用「反トルク」(逆トルク、アンチ・トルク)を受ける。このままでは、機体が回転して操縦不能となるため、機体尾部に長く伸びた先のテールローターによって横方向に押す力を生み出し、メインローターの回転とは反対方向に回転力を与え、機首方向の安定を図る。また、テールローターの回転翼のブレードの迎え角の角度を調整することにより、それが作る推力を加減することによって機首方向を変化させるのにも使用される。テールローターはエンジンからメイン・トランスミッションで望ましい回転数まで減速され、テールロータードライブシャフトを介してテール・トランスミッションでさらに回転数を減速した後に駆動されており、1,300-2,100rpm程度の回転数で常に回っている。型式や配列によっていくつかの種類がある(後述)[出典 1]